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マシンガンのしくみ 「給弾機構」
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今年最後のサービスカットでございます。
今年というより新年のご挨拶、と言った方が良いのでしょうか。
ともかく今年は皆さんに大変お世話になった一年でした。


で、年の瀬にも関わらず、よくよく考えるとまだマシンガンの機構面については
全然取り上げていなかったので、今回は「マシンガンの給弾機構」について簡単にお話したいと思います。
今年最後の小銃少女に、どうかお付き合い下さい。


■ベルト・フィード・システム
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一般的なボックスマガジン給弾の銃器では、マガジン内のスプリングが弾を押し上げて給弾するのですが、
アモベルトを使用するマシンガンの場合、弾を本体へ押し上げてくれる動力が無いので、
本体自ら弾を引き入れる必要があります。

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その構造は、面白いことに一部例外を除きほぼ全てのマシンガンで共通しています。
ベルト・フィード・システムと呼ばれるこの給弾機構は、マシンガンの「ふた」であるフィードカバー裏に
全てが集約されているのです。


ではその構造はどうなっているのか。
今回は構造を非常に簡潔に表した図を用いて説明したいと思います。
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上の図は、マシンガン本体を上から透視したものです。
赤はボルト、濃い赤丸はボルト上面にある突起、
緑は給弾機構の要である「フィードカム」「フィードカムレバー」を便宜上一つに見立てたものです。
フィードカバー裏に取り付けられているこの緑のアームが今回の主役です。


この状態は、初弾を撃発後ボルトが後退し、次弾の用意が出来ていない状態です。
このままではボルトが前進しても弾が無いので、ボルト先輩は怒ってしまいます。
アモベルト達はすみやかに右へ一発分移動する必要があります。

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そうこうしている内にボルトは前進を開始します。
緑のフィードカムはボルトの前進と共に、ボルト上面に突き出した突起(濃い赤丸)に沿って
右へとワイパーのように動きます。
この時、フィードカム先端に付いた「ツメ」はアモベルトに引っかかっており、
カムが右へ動くと同時にアモベルトを右へ一発分移動させます。

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アモベルトが移動を完了すると同時に、ボルトは次弾を抜き取り、チャンバーへと押し込みます。
撃発後、ボルトは後退し、フィードカムも同時に左へと戻されますが、
この時ツメは引っ込むようになっているので、アモベルトが左へ戻されるような事はありません。
こうして、1枚目の状態に戻り、以降は同じ動作の繰り返しとなります。


いかがだったでしょうか。
かなり端折った説明となりましたが、大まかな流れはこの通りです。

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それでは、2010年が皆さんにとってよい一年になることを祈っております。
良いお年を。
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by clan-aaa | 2009-12-31 22:00 | 「小銃少女」 | Comments(12)
天王寺きつね「うぽって」


以前お話した「最近気になっている事」です。


私がそもそもこのブログを思いついたきっかけは、当時擬人化というジャンルが最盛期に達していて、
「そういえば銃の擬人化は無いよな」と安易に思いついたのが発端だったと記憶しています。


丁度就活も山場を迎えていた頃にエントリーシートを考える片手間で始めたものなので、
「学園モノの銃器擬人化」というコンセプト自体はいつか誰かがやるだろうなとは思っていました。
ただ、ストーリーや世界観、ネタそのものはさておき、擬人化をやる以上キャラクターのデザインだけは
しっかりしたものにしようと思っていたので、その点だけはすごく自信があると自負しています。


で、冒頭の動画のお話なのですが、天王寺きつね氏という商業漫画家の方が16年来の新作という事で
銃器擬人化学園漫画「うぽって」を連載されているようです。


作者公式サイト「きつねのお宿」


……気になるので、実際に「うぽって」、読んでみました。
やはりプロの方だけあって、銃器の描画やコマ割りは流石だと思います。
続き物をいきなり途中から読んだのでストーリーはよく把握出来ませんでしたが、
とてもプロらしい漫画だと感心してしまいました。
「学園モノ」「銃器擬人化」という点で「小銃少女」とは全く同じコンセプトなのですが、
「うぽって」はこちらとはまた別の切り口から銃器を描いているように感じました。


ただ、FALの擬人化名が小銃少女と同じ「ファル姉」だったのが不思議でした。
FALってそんなに姉属性なんでしょうか、機会があれば是非とも作者の方に聞いてみたい所です。


そんなわけで、ヤングエースにて連載中の「うぽって」、皆さんも是非ご覧になってみて下さい。
比較対照だけは勘弁して下さいね^^
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by clan-aaa | 2009-12-28 07:00 | その他 | Comments(24)
消音機関銃「AEK-999」
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一週間も空いちゃいました。ごめんなさい。
アメコミみたくしたかったのに浮世絵みたいになっちゃって一人で笑ってました。


さて、今回は「消音機関銃」のお話です。


■機関銃手の憂鬱

突然ですが、今回の記事は既にいくつかの間違いを犯しています。
まず、サイレンサーとサプレッサーの違いについて理解した上で、「消音」という言葉が
数ある小火器の中でも特に限られたモデルにしか使うことの出来ない言葉であることを理解せねばなりません。
正確には「抑音機関銃」とでも冠すべきなのでしょうが、ここでは通念上「消音」という言葉を
あえて使わせて頂きます。

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銃が誕生し、今日までにほとんど解決することが出来なかった問題の一つとして銃声が上げられます。
優れた兵士は敵を目視するよりも銃声に耳を立て、姿が見えずともその姿を暴き出してみせるものです。


第二次大戦中、米軍の分隊を構成する兵士の中で最も危険に晒されていたのが機銃手でした。
連続射撃によって敵に発見されやすいだけでなく、機銃手は大きな機関銃を振り回せる
大男が多かった為に、それだけ被弾する確率が高かったのです。


しかし、ライフル弾の連続射撃に耐えうるサプレッサーを開発する事は難しく、
そもそも消耗品であるがゆえにコストの面でも多くの課題が残されていました。

■恐るべきアナグマ
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そんな中、ロシアのPKMをベースに開発されたAEK-999、通称「BARSUK(バースク=アナグマの意)」は
機関銃にサプレッサーを取り入れようという意欲的な開発動機を持つ数少ない機関銃です。
マズルに装着された大型の専用サプレッサーと、サプレッサー装着による燃焼ガスの吹き戻しから
射手を守るためのハンドガードが特徴的です。

製造元はKMZ(クラスノゴルスク・メカニカル・プラント)です。
PKMの生産拠点であるコブロフメカニカルプラントとの関係性が見えないのですが、
ここは以前ご紹介したZENITレンズも作っている巨大軍需工業プラントのようなので
銃器部門があってもおかしくはないと思います。
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漫画では「プスプス…」と世俗的表現な擬音を用いましたが、実際は
大変豪華なフラッシュハイダーのような、なんちゃってサプレッサーだと捉えた方がいいでしょう。
400m以上離れると発砲音が特定しにくくなる抑音能力がうたわれていますが、
最も本領を発揮するのはマズルフラッシュをかき消す事の出来る夜間戦においてだと思います。


ちなみに、PKMの改良モデルとして有名な「ペチネッグ」と少し似ていますが、
こちらはまた別の開発動機をもったモデルであることを付け加えさせて頂きます。





で、本題は以上なのですが、
突然ながら、実は先日からずっと気になっている事があって、どーも落ち着きません。

このブログととっても密接に関わる話なので、近いうちにお話する事になると思います。
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by clan-aaa | 2009-12-25 09:01 | 「小銃少女」 | Comments(3)
よみがえった分隊支援火器 「MINIMI」②
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ところで先日、米軍のM16マガジンがアップデートされたようです。
注目すべきはマガジンフォロアーの形状で、緩やかな傾斜は廃されストレートなものに変更されています。
銃の性能の三分の一はマガジンで決まると思いますし、以前からHK社製のものを試験導入してみたりと
その腰の入れようは伝わるのですが、上記リンクにもあるようにリップの変形をゲージでいちいち測らねば
ならんような作りを見ると、この子はやっぱり神経質だなと改めて思います。


のっけから話が飛んでしまいました。。。
今回は、先日に引き続きMINIMIの構造的特徴と、
分隊支援火器のこれからに迫ります。


■兵士に一番近い機関銃

分隊支援火器はライフルマンと共に分隊を構成する存在であるために、
相互性や互換性が求められる特殊な機関銃です。
特にヨーロッパでは、自国小銃をそのまま大型化した「ライト・サポート・ウェポン」を
今でも多く使用しているのですが、マガジン給弾である以上、その火力に限界があることが
一番の欠点でした。

MINIMIが米軍採用に至ったのは、M16マガジンの給弾機構だけでなく、
ベルト給弾機構を併せ持っていた事がその決定打でありました。

この「ベルト&マガジン給弾併用機構」の元となったのは、チェコのVz52/57機関銃でした。
この画期的機関銃が1950年代に登場していながらも、注目されることが無かったのは、
その生まれが共産圏であった事の他に、その構造を最大限に生かすことが難しかったためです。


■MINIMIの本音

「あると便利」というのは、複雑なシステムを生む一番の原因です。
米軍はMINIMIを採用したことによって、同じ兵士でもMINIMIの操作法とM16の操作法を合わせて
教練する必要が生じてしまいました。これは軍にとっても兵士にとっても、大変な負担です。

冒頭でも述べたように、分隊支援火器はアサルトライフルとの相互性・互換性が求められます。
欧州のライト・サポート・ウェポンと違い、MINIMIはM16とマガジンを共有出来るだけで
本体構造・アッセンブリーは全くの別物です。
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(↑ 米軍教則本による分隊構成図。4人構成の1チームにつき1丁のSAW=MINIMIが配される)

米軍の教練本にMINIMI射手は「AR=Automatic Rifleman」と記されています。
ここに、SAW射手はあくまでもライフルマンの延長線上であるという、
米軍の認識が伺えるのですが、お国柄でもある「効率性重視」という観点を
大きく阻害していると感じているようにも思えます。

こうして、MINIMIの魅力と火力のバランスは、次第に覆るようになっていきます。


■分隊支援火器のこれから

つい先日の話ですので、年明けにも専門誌等で取り上げられるかと思いますが、
実は先日MINIMIの代替機関銃とされる、「IAR=Infantry Automatic Rifle」の海兵隊採用が決定されました。
これは米軍の主力小銃M16とほぼ同じ外観を持ち、操作性も共通化された、
いわばライトサポートウェポンの一種です。


製造元はドイツHK社で、コンペでは最終的にコルト案とFN案との競争になったのですが、
HK案のみクローズドボルトからの射撃が可能であった事が評価され、採用に至ったとの事です。
まだ詳細な外観や仕様が公表されていないのですが、おそらくはHK416を大型化させ、
MG36に似た新型ドラムマガジンを取り付けたものだと予想出来ます。


IARコンペの米軍担当者であるジェフリー准尉は、IAR採用の理由をこう述べています。

“IARは「本当の意味」で分隊の整合性を阻害する事なく、
SAW=MINIMIが持つ目的を果たすことが出来ます”



分隊支援火器としてMINIMIが米軍に採用され、脚光を浴びて二十数年が経ちました。
制圧支援を強力かつ柔軟にこなし、最も兵士に近い場所で戦場を支え続けたMINIMIでしたが、
ここにきて新たな転機が訪れてしまったようです。

しかし、ジェフリー准尉は但し書きとして、このような言葉を残しています。

“もちろん、我々はSAWを中隊の要として残すつもりです。
―作戦行動で必要となった場合に備えて、現時点では2000丁のIARと置き換えるだけに留まっています”

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MINIMIが分隊を支え続けるのは、これからもまだまだ続きそうです。


参考資料:Marine Times "Marines to test, evaluate 4 auto-rifle models"


私信ですが、今月はなかなか時間が作れず更新が停滞がちになっています。
不定期更新となり読者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。
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by clan-aaa | 2009-12-18 01:00 | 「小銃少女」 | Comments(3)
よみがえった分隊支援火器 「MINIMI」①
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ペリカンケースの中で1750(=MINIMI用1959)が一番長いと思っていたら
1770(57インチ!)なんてものがあるみたいです。ペアガン並べても余裕で入りますね。


さて、今回はMINIMIのお話というわけで、
まずは「分隊支援火器」の歴史から簡単に触れていきたいと思います。


■よみがえった分隊支援火器

軽機関銃という機関銃の部類の中に、「分隊支援火器」というカテゴリが存在します。
文字通り、軍において分隊(最小の作戦行動組織)単位で割り当てられる軽機関銃全般を指す言葉なのですが、
その由来をたどると、第一次世界大戦にまで遡ることになります。
マドセンM1902/03軽機関銃、通称「レキサー軽機」(マドセン機銃の輸入代行元の社名からきているので、
あまりよくない呼称だと思います)は、ショルダーレストと二脚を備え、
かつ軽量で個人運用が可能という、現在の分隊支援火器の条件をほぼ備えた、
当時多くの国々で採用されていた名機関銃でした。


これに目をつけたのが当時の米軍であり、マドセンM1902軽機と同様に、ショルダーレストと二脚を装備し、
二十発のマガジン給弾ながらも強力な火力支援が可能であった、ブローニングM1918、通称「BAR」
採用していた事は、映画やゲームを通してご存じの方も多いかと思います。


ここで注意したいのは、分隊支援火器はあくまでも制圧支援の「補助的支援火器」であり、
マドセンM1902軽機を採用していた国々が制圧火器の主軸に重機関銃をおいていたように、
BARを採用していた当時の米軍も、M1919機関銃を制圧支援火器の主軸に置いていました。


時代は流れベトナム戦争時、米軍は主力小銃をセレクティブ・ファイアが可能なM14に移行することで、
分隊全体の火力が増強、すなわち分隊支援火器はもはや不要との判断に至り、ロジスティック上の観点からも、
歩兵用火器をM14と、GPMGのM60の二本立てで統一する事にしました。


先の大戦では物量によって勝利を収めたものの、ライフル弾、カービン弾、拳銃弾を使用する
何種類もの銃火器体系を、なるべく簡素に統合させたいというのが、米軍の本音であったのでしょう。
こうして米軍の分隊は、M14を装備するライフルマンを中心に、M60を装備する機銃手を一人、
もしくは二人配備させる簡素な形となりました。


しかし、米軍はベトナム戦争でソ連の兵器体系と対峙した事によって、この方針の転換を余儀なくされます。


その当時、ソ連はAKを主軸とした分隊に、RPKやRPD軽機関銃を分隊支援火器として数丁配備し、
さらに一分隊につき一丁のPKM汎用機関銃で火力を増強し、米軍よりも複雑ながらも、
様々な戦況に対して臨機応変に対応出来る兵器体系を確立していたのです。


一方の米軍は、機関銃といえば長大で取り回しに不便なM60機関銃のみしかなく、
火力は十分ながらも、軽便さに欠けていました。
すなわち、軽快な運用が可能で、なおかつ火力に長けた支援火器、
―ライフルとGPMGの中間のような存在、が求められたのです。


この後に米軍のコンペを経て採用されたのが、ベルギーFN社のMINIMI軽機関銃でした。
Mini Mitrailleuse(仏「小型機関銃」)の名を持つこの軽機を米軍が採用したことは、
西側各国の兵器体系にも大きな影響を与えました。


こうして、現在では「汎用機関銃」と「分隊支援火器」の2種類が兵器体系における
主要な機関銃となっています。


■自衛隊とMINIMI

自衛隊では、先日ご紹介した62式機関銃のみを長い間GPMGとして採用し、
分隊支援火器は不在の状態が続いています。
しかし近年、自衛隊はMINIMIを5.56mm機関銃として62式の後継に当て、未だに自衛隊の分隊支援火器は
不在となっています。

MINIMIは、ある一点において絶対に62式に引けをとる点があるので、汎用機関銃としては
力不足なのです。
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(↑ 射程差異イメージ。色が重なる範囲において歩兵の前進が期待出来る事から、赤い範囲の重要性がわかる。)

MINIMIが使用する弾薬は、主力小銃である89式と同じ5.56mmNATO弾です。
精度の差異はあれども、両者の得意とする射程は同等で~400m程度となります。
62式が使用する弾薬は、減装ながらも強力な7.62mm弾なので、
得意とする射程は~600m程度となり、前者よりも分があります。

ところで機関銃は、小銃を持った歩兵を前進させるために、敵を威嚇制圧しながら
支援射撃を行うことが主要な役割です。
すなわち敵を狙って倒すというより、味方歩兵の前進を確保するべく、その火力で敵を圧倒するのですが、
歩兵が持つ小銃と同程度の射程では、問題が生じます。
支援射撃に有効な余剰分がないというのは、前進する歩兵にとって不安以外の何者でもありません。


ですので、MINIMIでは62式の後釜は務まらないのです。
はたしてこんな不安だらけの兵器体系で、いったい誰と戦おうとしているのか存じませんが、
最新鋭のイージス艦の隣に、70年代の西欧兵器体系の状態で止まっている
軍隊を備えている国は、間違いなく日本だけだと思います。
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次回は、MINIMIの特徴と、
分隊支援火器のこれからを取り上げたいと思います。
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by clan-aaa | 2009-12-12 17:00 | 「小銃少女」 | Comments(7)
国産GPMG "62式機関銃"の軌跡②
前回の続きです
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前回は戦前までの日本機関銃史を取り上げました。
その最後にも触れたように、戦後の日本製機関銃の開発は白紙から始まったのですが、
厳密に言えば、62式の開発は戦前から地続きで行われていたものでありました。


というわけで、今回は国産初のGPMG「62式機関銃」の開発背景と、
その性能に迫ります。


■民間機関銃メーカー

62式機関銃(以下「62式」)を取り上げる前に、まずその製造メーカーである
「日特金属」(現在では住友重機械工業に併合されていますが、ここでは便宜上「日特」で統一します)について
触れねばなりません。


日特金属は、戦前「日本特殊鋼」と呼ばれていた軍需企業で、代表作としてはゼロ戦搭載の
20ミリ機関砲などがある、いわゆる「海軍系」の企業でした。
この「海軍系」というのは、戦前(今も)の軍需企業はそれぞれ陸軍系と海軍系に分かれていた慣習があり、
日特は旧帝国海軍の息がかかった企業だと言われていました。


実はこの日特金属、62式を設計する遥か昔、戦時中に自動小銃や軽機関銃を試作していました。
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(↑「試作自動小銃甲型」 ↓「試作自動小銃丙型」
甲型の開発は後の64式自動小銃へとつながっていく)


「試製自動小銃丙型」と呼ばれたこの自動小銃は、反動・ガス圧併用方式と呼ばれる珍しい機構を搭載した
意欲作でありましたが、残念ながらその作動に難があり、採用には至りませんでした。
なお、このコンペがもっと早く開催され、競合小銃たちが日本製主力自動小銃として採用されていれば、
戦局に大きな影響を与えていたかもしれません。
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(↑ 「試製超軽機関銃」 20発入弾倉と防弾盾を装着したモデル)

その後も日特自社開発として試作した「試製超軽機関銃」は、重量わずか5.6キロという当時としては世界的にも
最軽量クラスの軽機関銃でありましたが、作動面の不安と試験中の部品折損により、開発は中止されてしまいました。
しかし、この設計を担当した日特の河村正彌博士は、この時得たノウハウを後の62式の開発へ生かす事を考えると、
この試製機関銃こそが62式の源流といえるでしょう。


■日特金属と豊和工業

戦後、後の自衛隊となる警察予備隊が設立され、防衛省はソ連の脅威に備えるべく、
国内部隊の武装用小銃の開発を国内メーカーに打診します。

そのメーカーこそ、旧海軍系企業の日特と、旧陸軍系企業の豊和工業(以下豊和)でした。
豊和は自動小銃を、日特は機関銃の開発を開始することになるのですが、この「旧軍系企業」という
悪しき慣習が、両者の小銃開発に大きな影響を与えることになります。
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(↑ 「62式機関銃」)

この後、幾度かの試作を経て、1962年にモデル9MB試作機関銃は62式機関銃として自衛隊に制式採用され、
日本初のベルト給弾式GPMGとして産声を上げることになります。


しかしこの62式は、多くの難を抱えた、日本機関銃史上に残る「問題児」でした。


■細すぎる銃身

62式は、「命中精度の悪さ」「作動性能の欠陥」が大きな問題としてあげられます。


この二つの問題点は、どちらも「銃身が細すぎる」事に起因します。

銃身は、薬莢の圧を受け撃発直後に膨張し、その後即座に緊束するのですが、細い銃身は当然大きく膨張します。
すると薬莢は、膨張時と緊束時の大きなギャップを受けて、薬室に張り付いてしまい、その結果排莢不良を起こします。
これを解決するには、銃身を太くすればよいのですが、62式は何故か銃身外径28ミリという、
機関銃にあるまじき細身の銃身を採用してしまいました。
64式自動小銃の銃身外径が34ミリである事を考えると、いかに細身であるのかがおわかりかと思います。


そのかわりに、62式は大きな質量を持つ揺底の後座エネルギーによって強引に薬莢を引き抜こうとしました。
大きな揺底を動かすために、ガス圧も異様に上げねばなりません。
その結果、揺底の後座時には非常に大きな衝撃が射手を襲い、命中精度はガタ落ちします。
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(↑ 62式機関銃の内部構造。大きな揺底と、前端揺動式遊底が確認出来る)

しかしそれでも銃身は細いので、今度は薬莢が「ちぎれ」を起こします。
そこで62式は薬莢を徐々に引き抜く動作(緩徐抽筒といいます)を与えるべく、落ち込み式閉鎖機構でありながら、
遊底の前端を揺動させる「前端揺動式ティルティングボルト閉鎖機構」という、世界でも非常に珍しい
閉鎖機構を搭載しています。
ちなみに私は、砲底面へいたずらにストレスがかかるこの閉鎖機構を、あまり肯定的にとらえていません。


つまる所、ただ銃身肉厚を増やしてやれば解決するのですが、62式はこれを受け入れませんでした。
というのも、62式と同時期に自動小銃を開発していた豊和工業は、この事実に早い段階で気づき、
日特に銃身肉厚を増やすようアドバイスをするのですが、日特はこれをつっぱねたのです。
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開発者の意地か、はたまた旧来の軍閥企業の悪習か、真相は定かではありませんが、
時期と志を同じくして切磋琢磨しあうべき企業同士で、このようなやり取りがなければ、
62式、さらには64式自動小銃の評価すらかわっていたのではないかと思わざるをえません。



■62式機関銃の、これから

これら問題点を解決するには、私は以下の提案を考えます。
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(↑ 赤は逆鈎(シア) 緑は揺底を示す。この距離が長すぎるために自然撃発を起こしてしまう)

まず放熱フィンを省略し、ヘビーバレルにする事。
次に揺底を小型化し、それに伴なう後座量減退を解決するべく、逆鈎をもっと前へ移動させる事。
これにより62式が抱える致命的欠陥「自然撃発」(揺底の後退不良による暴発)も解決されるはずです。
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そしてストックのコーム(緑)をもっとドロップさせ、ヒール(赤)を上げる事。
これで頬付けが確実になり、反動を逃がしやすくなるはずです。

しかしこうした改良点は当事者が一番理解しているはずなのですが、日本の国防という独特の風土が足枷となって
その改良・改善にメスが入らない、すなわちシステムの問題が根本にあるとも思います。


ですので私は、62式は廃止して、海外から優秀なGPMGを輸入すべきだと考えます。
防衛省はどうやらMINIMIを62式の後釜と考えているようですが、MINIMIでは実用上も運用上も
GPMGは務まりません。これは次回のMINIMIの回でも触れる予定です。


機関銃は主力小銃と違い、国産にこだわる必要はないと思います。
日本では盲目的に自国小銃を評価する節がありますが、自国民だからこそ
その評価はよりシビアであるべきです。

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62式は失敗作でした。一丁200万円の価値など今となっては皆無です。
戦争が起きるおそれのない今、ようやく62式とお別れする時期が来ているのではないでしょうか。


大変長い記事になってしまい、申し訳ありません。
次回は、現代によみがえった分隊支援火器「MINIMI」を取り上げる予定です。
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by clan-aaa | 2009-12-06 17:00 | 「小銃少女」 | Comments(10)
イラストを頂きました
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imico様より誕生日のお祝いとして贈って頂きました。
大変失礼な事に私がしばらくそのメールに気付かず、ご紹介がこの時期にずれ込んでしまった事は
改めてお詫び致します。本当に申し訳ありません。。。
ご本人から許可を頂いたので、この場に掲載させて頂きました。


私がPCでイラストを描くようになって約2年ほど経つのですが、
このような形でお返事が帰ってきたのは初めての事でして、大変な感動をおぼえている次第です。
何というか、今までやってきて本当によかったなと、ただその一言に尽きます。


このブログの読者層の中で、イラストや漫画を描かれる方は多分少ない方だと思いますし、
実際私自身がそういう方々とのつながりに希薄で、お友達もいないに等しいのですが、
そんな中で「自分の」イラストを描ける方からこのような形で敬意を表して頂ける事を、
大変光栄に思います。


例えば商業作家のファンイラストでも、ただ原作をトレースしたようなものは多く見受けますが、
自分の芯をぶらさずに、なおかつ雰囲気を引き出せる技術を持っている方が描いた絵は、
受け取る側として感情の持ち様が変わってくると思います。
今回imicoさんから頂いた絵も、私は何度も何度も見入ってしまいました。


imicoさん、改めましてこの度はどうもありがとうございました。
なお、こんなブログではありますが、イラスト等々創作寄りな読者の方からの交流も
喜んで歓迎いたしますので、どうかよろしくお願いします。
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by clan-aaa | 2009-12-04 01:00 | 「小銃少女」 | Comments(4)
国産GPMG "62式機関銃"の軌跡①
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機械に弱い人間になる事だけは避けたいなと思うんです。


さて、今回は国産GPMG「62式機関銃」という事で、
まずは本邦の機関銃史について簡単に触れていきたいと思います。

■日本とホチキス機関銃

日本の機関銃史を語ると、古くはガトリングやミトライユーズ、ノルデンフェルトにまで遡ってしまうので、
今回は現代機関銃を主軸として進めていきたいと思います。


日本軍と現代機関銃との付き合いは、意外にもマキシム機関銃からスタートします。
頭読みをとって「馬式」(もしくは麻式)として試験的に輸入採用される事になったマキシム機関銃でしたが、
残念ながら当時の軍部はそれを使いこなすことも、また技術をコピーする事さえままなりませんでした。
この失敗は、後にわが国におけるベルト給弾式歩兵用機関銃の開発の遅れの遠因となります。


そんな折、フランスへ商業視察に訪れていた軍部御用の総合商社「高田商会」は、
当地の気鋭機関銃「ホチキス機関銃」の輸入代行権を獲得、軍部への売り込みに成功します。
このガス圧利用・保弾板装填方式のホチキス機関銃「保式」を日本軍が制式採用したことは、
その後終戦を迎えるまでに開発された国産機関銃の命運をも決定付けました。


余談ですが、旧日本軍の陸戦歩兵用制式機銃の中にベルト給弾式は一つもありません。
当時の軍部もベルト給弾式機銃の有用性は理解していたはずですが、弾薬の過大浪費という
ロジスティック上の大問題が、ベルト給弾機銃の開発を断念させた最大の理由である事は間違いないでしょう。


さて、こうしてホチキス機関銃でガス圧利用方式のノウハウを会得した日本軍は、
いよいよ完全国内設計機関銃の開発に乗り出します。


こうして大正3年に完成したのが「三年式重機関銃」でした。
ほぼホチキスよろしくな構造ではあったものの、「九二式」「一式」といった
後の日本機関銃史に残る傑作の系譜へとつながる意味では意義のある日本初の独自開発機関銃でした。


しかし、ここで日本の機関銃開発はピークを向かえる事になります。


■日本機関銃史の凋落

満州事変で中国軍と対峙した日本軍は、ある一丁の機関銃に大変な衝撃を受けます。
その正体こそ、当時世界中を席巻していたチェコ製機関銃の世界的傑作「Vz26」でありました。


この当時、日本には「十一式軽機関銃」という国産機関銃が制式配備されていましたが、
これが何かと色物な機関銃で、独自性を出そうと必死になって失敗した、典型的「迷」機関銃でした。
ちなみに装弾機構(ホッパー弾架)が何かともてはやされ、評価されている十一式ですが、
同様の装填機構はすでにイタリアのフィアット重機関銃が開発していた事を付け加えさせて頂きます。


さて、そんな折に受けたチェコ軽機の衝撃によって、日本軍はチェコ軽機をほぼコピーした
「九六式」「九九式」を、十一式にかわる軽機関銃として制式採用する…のですが、
残念ながらここにて終戦を迎えてしまいました。


終戦後、アメリカは日本の兵器開発力を完全に骨抜きにするのですが、当然これには機関銃の
開発機材・資料も含まれており、これまで連綿と紡がれてきた日本機関銃開発のノウハウは
完全に途絶えることになります。


そんなわけで、戦後における日本の機関銃開発は、完全に白紙の状態からスタートする事になります。
しかし、いくら機材や資料を破壊しようとも、技術者の英知だけは破壊する事が出来ません。

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次回、国産初のベルト給弾GPMGにかける、熱き男たちの挑戦が始まります!
が!最後の画像で台無しです!
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by clan-aaa | 2009-12-02 00:00 | 「小銃少女」 | Comments(10)